2003年5月1日
弁理士法人 HARAKENZO WORLD PATENT & TRADEMARK
(文責: 清岡)
目次
微生物の寄託
バイオテクノロジーに係る発明のうち、微生物に係る発明については、その微生物を当業者が容易に入手できない場合には、出願前に当該微生物をブダペスト条約の国際寄託当局に寄託した上で、寄託を証明した書面を願書に添付する必要がある(特許法施行規則27条の2)。日本においては、独立行政法人産業技術総合研究所 特許生物寄託センターが、国内唯一の特許微生物寄託機関となっており、かつ、ブダペスト条約に基づく国際寄託当局としても指定されている。
したがって、例えば、発明者が自然環境からスクリーニングした新規な微生物それ自体を発明として特許出願する場合には、先に、特許生物寄託センターに寄託して受託番号を付与してもらう必要がある。
特許生物寄託センターに微生物を寄託する場合、寄託申請書等の書類を提出する。この寄託申請書には、任意記入事項として「科学的性質及び分類学上の位置」があるが、特許生物寄託センターでは寄託技術業務の効率化のために、この事項を極力記載するよう求めている(文献1、7頁)
上記科学的性質とは、生物の形状、生理生化学的性質等であり、分類学上の位置とは、寄託生物の種類及び生物の属名、種類等である。したがって、微生物を寄託する場合、当該微生物は、属・種が明らかになる程度まで分類されていることが非常に好ましい。
生物学の分類の基本単位は「種(species)」であり、分類のヒエラルキーを構成する主要なランクは、下位から順に「種」・「属(genus)」・「科(family)」・「目(order)」・「綱(class)」・「門(phylum,植物学ではdivision)」となっている。このうち、種・属はその生物の学名から分かる(文献2)。
全ての生物の学名は、属名および種名からなる2名式で表わされる。例えば、大腸菌の学名は、 Escherichia coli であるが、これは、 Escherichia 属の coli 種を表す。細菌の学名は、国際細菌命名規約(International Code of Nomenclature of Bacteria)により規定されている。なお、学名は、原則としてイタリック体で記載するが、イタリック体を用いることができない場合(例えば手書きの場合等)には、下線を引いて記載する。
ところで、上記寄託の技術業務の便宜だけでなく、微生物に係る発明の特許性を明確化する理由からも、寄託する微生物について、属・種が明らかになる程度まで分類しておくことが非常に好ましい。微生物に係る発明では、その微生物が発明の重要な特徴点となっているため、当該微生物の科学的性質については概ね明らかになっているであろうが、さらに、当該微生物が新規なものであることを主張する点から、その属・種を明らかにしておくことが非常に好ましい。
例えば、微生物は、分類学上、同一の属・種であると判断されても、それぞれの個体(すなわち「株」)によりその性質が異なる。それゆえ、分類学上公知とされる微生物であっても、寄託の必要性が生じる(文献3、27頁)。逆に言えば、属・種が公知な微生物であっても、その発明の課題に応じた新規な科学的性質を有する「株」であれば、その「株」については十分新規性を主張することが可能であると思われる。
このように、微生物に係る発明を出願する上で、当該微生物の分類および科学的性質の特定は、非常に重要なものとなっている。
微生物の分類1:古典的手法
生物の分類は、外観上の類似に基づくことから始まった。微生物についても同様で、例えば、細菌については、球状、桿状(棒状または円筒状)、らせん状、鞭毛の有無等の外観(形状)での分類が試みられてきた。
しかしながら、微生物は外観の変化に乏しい単細胞生物であることがほとんどであるため、視覚的に分類することが難しい。したがって、微生物では、上記外観よりも生理生化学的性質に基づく分類の方が重要となる。
さらに、細菌の分類では、上記生理的性質に加えてグラム染色が非常に重要となる。グラム染色は、デンマークの細菌学者Christian Gram(1853〜1938)が1884年に発明した細菌の染色法で、ゲンチアンバイオレットやクリスタルバイオレットで細菌を染色した後、アルコール処理により脱色し、さらにフクシンやサフラニン等で後染色する。アルコール処理で脱色されず紫色に染色されたまま残る細菌がグラム陽性菌であり、アルコール処理により脱色され、後染色で赤く染色された細菌がグラム陰性菌である。グラム染色による陽性・陰性の判断は細菌を分類する際の大きな根拠の一つとなっている。なお、グラム染色ができるか否かは、細菌の細胞膜の構造が違うことによるが、その詳細な機構については明らかになっていない。
上記生理生化学的性質およびグラム染色に基づく分類によれば、細菌は、例えば次のように分類することができる(文献4、78〜80頁)。
(a)光合成細菌
(b)グラム陰性従属栄養好気性細菌
(c)独立栄養化学合成細菌
(d)グラム陰性任意嫌気性細菌
(e)グラム陰性嫌気性細菌
(f)グラム陽性で胞子をつくらない細菌
(g)グラム陽性で胞子をつくる細菌
(h)スピロヘータ
(i)リケッチアとクラミジア
(j)マイコプラズマ
(k)超高熱性細菌
微生物の分類2:分子生物学的手法
さらに、近年は、分子生物学の進展により、上記のような古典的手法に加えて、分子生物学的手法によっても微生物の分類がなされるようになってきた。
分子生物学的な微生物の分類方法としては、例えば、次のような分類指標を利用する方法が知られている。
◎分類指標が核酸
○DNAプローブ
○rRNA遺伝子塩基配列
○RFLP(Restriction Fragment Length Polymorphism)
○DNAのG+C含量
○DNA−DNA相同性
◎標的分子が核酸以外の菌体成分
○イソプレノイドキノン
○菌体脂肪酸組成
○細胞壁成分
○酵素の電気泳動パターン
○全菌体タンパク質の電気泳動パターン
このうち、イソプレノイドキノンを標的分子する方法以外は、何れも種の同定が可能であり、特に、RFLPや酵素や全菌体タンパク質の電気泳動パターンについては、種の下位となる「株」を同定するまで有効である(文献5、4頁、図1.1)。
上記のうち、分類指標として主流となっているのは、rRNA遺伝子塩基配列、特に、16S rRNAの塩基配列である。16S rRNAは、リボソーム基本粒子のうち30S亜粒子を構成するrRNAで、ほぼあらゆる微生物が保有しており、種の間におけるサイズの差が小さく、系統発生的に保存されていることから、指標として非常に有意義とされている。
また、近年、様々な生物について全ゲノムの塩基配列が決定されるようになっていることから、ゲノムデータを利用することにより、微生物の分類技術も大幅に進展すると思われる。
えば、微生物の全ゲノムの塩基配列は、1995年のインフルエンザ菌( Hemophilas influenzae )に始まって、1996年の出芽酵母( Saccharomyces cerevisiae )、1997年の大腸菌( E. coli )、枯草菌( Bacillus 属)等が決定されてきたが、これらのゲノム解析は、通常、大規模な設備を有する研究機関でのみ実施されていた。
さらに、90年代後半になって、配列決定法としてショットガン法が導入されたこと、マルチキャピラリータイプのDNAシーケンサーが実用化されたこと等から、設備の小規模化が可能となり、放線菌(Streptomyces属)、アミノ酸生産菌( Corynebacterium glutamicum )、麹菌( Aspergillus 属)等についてもゲノム解析が完了、または解析が進行中である(文献6)。
微生物に係る発明の分類
自然界に存在する微生物のうち、人為的に単離され、科学的に確認されているものはわずかしかないと考えられているため、未だ知られていない新規な微生物は多く存在すると考えられる。この点から、微生物に係る発明を特許出願することは有意義であると判断される。
ここで、上記微生物に係る発明を分類するとすれば、おおまかには、次の2つのタイプに分けることが可能である。
(1)遺伝子組み換え技術等を利用して、新規な生物を創出する発明
例:菌Aに、生物Bから得たb形質の遺伝子を導入して、b形質を発現する新規な菌A’を得る。
(2)自然界から得られた新発見の微生物を利用した新規なシステムについての発明
例:ある場所の土壌からスクリーニングにより得られた新規な菌Cを利用して、廃棄物を効率的かつ安全に分解するシステム。
(1)のタイプの発明では、明細書中に当該新規な微生物(上記の例では「菌A’」)を作り出すプロセスを、第三者が再現可能に記載することが可能である場合がほとんどである。したがって、「元」になる微生物(上記の例では「菌A」)さえ入手が容易であれば、微生物は必ずしも寄託しなくてよい。
一方、(2)のタイプの発明では、新規なシステムの最も重要なポイントは、新発見の微生物そのもの(上記の例では「菌C」)である。新発見の微生物を発見したプロセスをいくら明細書に記載しても、第三者が当該微生物を入手できるわけではないため、(2)のタイプの発明を出願する場合には、新発見の微生物を出願前に寄託する必要性が生じる。
さらに、上記(2)のタイプの発明をさらに分類すれば、次の2つのサブタイプに分類することが可能である。
(2−1)微生物の生産する代謝産物がシステム成立のポイントとなる発明
例:廃棄物を効率的かつ安全に分解するシステムにおいて、用いられる菌Cが生産する特殊な酵素cが廃棄物の分解の要となる場合。
(2−2)微生物そのものがシステム成立のポイントとなる発明
例:新規な菌Dおよびこの菌D専用のベクターにより構築される形質転換システム。
上記(2−2)のタイプの発明では、菌D自体が発明の最大の特徴点となるが、上記(2−1)のタイプの発明では、菌C自体は必ずしも発明の最大の特徴点ではない。この場合、菌Cが生産する特殊な酵素cとこれをコードする遺伝子が特定できるのであれば、遺伝子・タンパク質という「物質」を最大の特徴とする発明として出願した方が明らかに有利である。つまり、微生物に係る発明のうち、上記(2−1)のタイプの発明については、できる限り遺伝子・タンパク質を発明の主体とし、微生物そのものは従属的な発明とすることが好ましいと考えられる。
微生物の分類と特許性
逆に、上記(2−1)のタイプの発明において、微生物を発明の主体とした場合には、次のような問題が生じると考えられる。
そもそも(2−1)のタイプの発明では、例えば上記「菌Cを用いるシステム」を主たる発明とした場合、菌C以外の類似の微生物には、実質的な権利が及ばなくなる可能性が高い。
さらに、菌Cだけでよいから権利を確保できればよいとしても、微生物という「生命体」を最大の特徴点とすることは、遺伝子・タンパク質のような「物質」を特徴点とする場合と異なり、十分有効な権利とできない可能性がある。
これは、微生物の分類・同定上の問題点に大きく関連する。
上記IIで述べた古典的な分類手法に比べると、IIIで述べた分子生物学的な分類手法の方が優れているようにも見えるが、実際には、分子生物学的な分類手法は絶対的な指標ではなく、それぞれ問題点を有している。
具体的には、例えば、上記16S rRNA塩基配列を分類指標とする技術について見ると、16S rRNAの塩基配列の相同性と科学的性質の類似性との間には、必ずしも相関関係があるわけではない。すなわち、上記塩基配列に高い相同性が見られたとしても、外観(形状)、生理生化学的性質、グラム染色等の科学的性質に大きな違いが見られる場合がある。さらに、上記16S rRNAの塩基配列とDNA−DNA相同性との間にも相関関係はないとされる。
したがって、現在主流となっている16S rRNAの塩基配列の相同性という分類指標であっても、属や種を同定する決定的な指標とはなりえない。これは、種より下位の「株」の同定についても同様である。
このように、新規に発見されたとされる微生物が、本当に新規なものであるかという判断は、非常に困難を伴う。それゆえ、例えば、上記「菌Cを用いるシステム」の例において、菌Cの生産する酵素cが具体的に特定されておらず、この菌Cと同じ種に属し、さらに廃棄物を分解する能力を有する菌Eが以前に知られていたとすれば、当該菌Cの新規性は危ういものとなる。この場合、菌Cが「株」としてどれだけ新規で有用なものかを証明しなければならない。
さらに、酵素等のタンパク質は、常に同一条件で生産されているわけではなく、微生物が生育する環境等に大きく依存する。それゆえ、一見、生理生化学的性質が異なるとしても、それが「株」として異なることを証明するものとは断言できない。もっと極端な例を挙げれば、分子生物学的な分類手法が、逆に新規性を否定する材料に用いられる可能性もあり得る。
例えば、上記「菌Cを用いたシステム」の発明について、菌Cの16S rRNAの塩基配列を特定した上で出願したとする。このとき、菌Cは廃棄物を分解することのみが知られており、この分解は酵素cによるものであることは知られていなかったとする。ここで、この発明の出願時点で、種は同じだが、生理生化学的性質から明らかに異なる「株」と見られる菌Fが公知であったとする。出願後、この菌Fについて研究がなされた結果、この菌Fの16S rRNAの塩基配列が菌Cのそれと相同であり、しかも、特定の条件で誘導すれば酵素cを生産することが分かれば、上記「菌Cを用いたシステム」の発明の特許性は大いにゆらぐこととなる。
これに対して、「菌Cを用いるシステム」ではなく、「菌Cの生産する特定の酵素および遺伝子」と「それを利用したシステム」とすれば、当該発明の最大の特徴点は、遺伝子・タンパク質という「物質」となる。そのため、微生物を最大の特徴点とする場合に比べて不確定要素が介在するおそれは非常に低い。
例えば、上記の例では、菌Fの研究が進む前に、酵素cのアミノ酸配列・塩基配列を特定しておけば、後に菌Fと菌Cとが同じ「株」であるとしても、その特許性に大きな影響が及ぶことを回避することが可能である。
したがって、微生物に係る発明で、上記(2−1)のタイプに分類される発明であれば、微生物を最大の特徴点とすることはできる限り避けたほうがよい。もちろん、実施可能要件を満たす観点から、「菌Cの生産する特定の酵素および遺伝子」の発明であっても、菌Cを寄託すべきことが好ましいのは言うまでもないが、微生物に係る発明では、その特徴点が本当に微生物そのものなのかを改めて検討する必要があると思われる。
文献1:「特許生物寄託・分譲業務 利用の手引」 独立行政法人産業技術総合研究所 特許生物寄託センター 平成13年
文献2:「生物学名命名法事典」 平嶋義宏、平凡社、1994
文献3:「特許微生物寄託Q&A」 特許微生物寄託研究会編、発明協会、1993
文献4:「微生物学への誘い」 山中健生、培風館、2001
文献5:「微生物の分類・同定実験法」 鈴木健一朗・平石明・横田明、シュプリンガー・フェアラーク東京(Springer-Verlag Tokyo)、2001
文献6:化学と生物 連載「有用生物のゲノム研究の現状」 Vol.40, No.7(2002)〜Vol.41, No.1(2003)